無縁仏

お墓というものは、亡き人がこの世に降りて来るための目標物として、

「依り代」とも呼ばれ、一旦開眼供養すると、

その時から亡き人がこの世に降りて来る機能が働き出し、

亡き人とお参りする私達の接点となり続けます。

亡き人にとってお墓は、この世で生きた証としての残された遺骨もあり、

お墓に名前も刻まれているので、特別な場所であり、

子孫の者の成長を見守る場でもあります。

たまにでも構わないからお参りする人がいれば大いなる喜びであり、

何よりもお墓が綺麗に保たれていることが安心なのです。

しかし、何らかの理由で誰も参らなくなってしまったら…

その時から永遠の苦しみが始まります。

お墓は荒れ果てて来るし、いくら待っても誰も来ない、

ご先祖様にとって、自分のことを思い出してくれたり、

語り掛けたりしてくれることが最大の喜びであり、

そういう人を守ろうとするのですが、

いくらお墓に降りてきても誰もいない、

という苦しみが迷いということになるのです。

この苦しみこそ「無縁仏」の正体なのです。

この苦しみを止めるためには、

丁寧にお断りしてからお墓を閉眼供養して降りて来る機能を止め、

お還り頂くことです、丁寧にお断りというのは

僧侶が読経するだけではありません、

なるべく関係者の方が同席して語り掛けることが必要なのです。

墓じまいと言っても、こういう問題に踏み込むのは私ぐらいしかおりませんが、

依頼された方が最後まで幸せであるように、

との責任感から真剣に取り組んでいるのです。

お墓は安易に作るものではありません、後継者がいなくなるような場合には、

散骨喉仏供養などを考える必要があります。