今の時代、人口減で仕事が減り、高齢者が増えてきたことから、
亡くなる人は確実に増えていきます。
そこで葬祭というサービス業に目を付けて、
大手から始まって素人まで葬祭業に参入し続ける結果として、
散骨の質の低下が目立ちます。
今散骨が危ない!
今、周りを見渡してみると、散骨の広告が目立ちます。
散骨はもはや、安い、便利ばかりが強調され、完全に商品化されてしまい、
故人様を送り出す大切な儀式であることが忘れ去られようとしているのです。
お葬式が時代の流れの中で、簡略化がどんどん進み、
1つの商品となって、故人様を送り出す大切な儀式であることを忘れ、
形ばかりのお別れ会になってしまったのと同じ道を、
散骨もまた繰り返そうとしているのです。
汗水流してがんばって今の日本を築き上げてきた方々を送り出すのに、
粗末な送り方をしてしまうと、私達の心まで滅びてしまいます。
今散骨が危ないということを気付いて頂きたいのです。
亡き人と付き合っている
亡き人は、私達の目の前にはいませんが、守ってくれる存在です。
何故、お墓があるのでしょうか。それは、お墓を掃除しにいくことが目的ではなく、
亡き人に会いに行っているのです。
神仏、霊などを信じない人であっても、お墓参りには行くことでしょう。
お墓には、生きている人がそこに住んでいるのではなくて、
亡き人がお祀りされている、その場所に行っているのです。
亡き人を偲ぶため、祈るため、感謝するため、人によって目的は様々ですが、
とにかく私達は、亡き人と付き合い続けているのです。
ある意味、人は亡くなってからも、大切にし続けられているのです。
亡き人を大切にするからこそ心が豊かになる
亡き人は、私達の目の前に出てきて、何かをしてくれる訳ではありません。
しかし、亡き人は、見えない存在として、
確実に私達のことを守ってくれているのです。
「人は死んだらそれでおしまい、あとは何にも残らない」、
亡き人の存在を信じない人は、これで良し。
誰の力も借りずに、自分の力で生きていけば、それでよいのです。
しかし、亡き人の存在を信じ、守ってもらえると思えば、
実際に守ってもらえるのです。
信じなければ、神仏は無し、信じれば神仏はそこに居る。
信じるか、信じないかということになりますと、やはり宗教になってしまいますが、
皆さんの周りにあるお墓も、宗教性が非常に強いのです。
亡き人から守ってもらえれば、自然と感謝の気持ちが湧いてきます。
「ありがとう」、この気持ちがどんなに心を豊かにすることでしょう。
「ありがとう」は、言えば言うほど、亡き人に守ってもらえるのです。
亡き人の送り方
亡き人を送るのに、ちゃんとその人の名前を呼ばないとダメです。
まとめて処分するなんて、もってのほかです。
亡き人にも、一人一人の名前があります、ゴミではありません。
一人一人のことを尊重しないと、亡き人は満足してくれません。
そして亡き人を送る儀式も必要です。
旅立ちの、そして迷わずに天に昇る儀式のことです。
それも形だけではいけません、亡き人を案内して差し上げるのです。
私は僧侶でありますので、お葬式の時には「引導作法」と言って、
ちゃんと亡き人を迷わぬように導いて差し上げる所作をするのです。
これがなければ、亡き人は迷うばかりです。
散骨の普及
私は散骨を始めて15年目になりますが、
最初の頃はよく「法律違反だ」と言われたものでした。
まだまだ肩身が狭い思いをしていたのです。
これは散骨がまだ普及していなかった頃の話です。
やがてテレビや映画、マスコミので取り上げられることが多くなり、
少しずつ普及していくようになると、ブームに火が付いたように、
普及していき、今では多くの業者が林立しています。
皆が利用できるようになったことはとても良いことです。
誰かの散骨に呼ばれて体験してみて、
これなら自分も出来ると始めた方もたくさんおられます。
散骨業は素人の人でもその気になればすぐに始められるので、
それが葬送の儀だということに気付かずにしている方が多いのです。
利用する方が注意すること
ホームページを見たら、どれも綺麗で立派です。
しかし、葬送の儀であることを理解して、
尚且つ実践しているかどうかは大切なことです。
利用される時には、このことを特に注意してください。
大切な方を送り出すのですから、一回しかないことですから、
私は、多くの亡き人から、捨てる、処分ではいけないと訴えかける使命を
頂いております。命がけで訴えていくつもりです。
それと、最近気が付いたことですが、散骨の生前予約の名目で、
最初から実施するつもりのない業者がお金を集めている所がありますので、
気を付けてください。私の所には、過去に何回も、
生前予約のお金を払った方が、いざ電話してみると会社が無くなっていた、
という相談を受けています。
亡き人を大切に!
亡き人を大切にしてください、感謝しましょう。
たとえ喧嘩別れをしたような人であっても、亡くなってからも恨み続けるのは、
恨みの連鎖を作ってしまいます。その恨みは、次の人にも受け継いでしまいます。
もう亡くなってしまったら、目の前で何かをされる訳ではありません、
生きている間中、「悪いことをした」と後悔していたかもしれませんよ。
最後くらいは、悪いことは水に流して送ってあげないと、
捨てるようなことをすると、いつまでも迷い続けますよ。
自分が温かい心で生きていこうと思ったら、他人に温かい心で接することです。
自分が良い死に方をしようと思ったら、人を温かく送り出してあげることです。