山林を所有しよう

自分で所有する山の散骨とは

地方で農業を営む人の家には家屋敷と田畑、山林があることが多く、今でも農村の原風景を形成しているのですが、農業も林業も手間がかかる割には収入が少なくて不安定なために後継者不足が深刻で、若い人達はどんどん都会に流失しているので年々荒れ果てているのが実情です。

近年はこういった地方の農家で暮らす夫婦或いは一人暮らし世帯の高齢化が進み、最終的には亡くなることによって空き家になってしまうのですが、亡き人がそこで人生の大半を過ごしたことを思えば、思い出の場所である山林に散骨することはある意味幸せなことでは無いかと思います。

出来る事なら祖先のお墓に入れてあげて、子々孫々と家とお墓を守っていけば良いのですが、現代の人口減と少子高齢化、核家族化の流れは着々と進行し、大切にしてきた家や家族が絶えていく中で、自分が暮らした土地に還っていくことは、今や散骨でしか叶わない夢になっています。

自分で所有する山の散骨は合法

後継者がいない方で自分で所有する山があるのでしたら、ご自分の山で散骨することは合法であり、民法上或いは墓地埋葬法にも全く問題ありません。

墓地埋葬法では「遺骨の埋葬は決められた場所で行う事」などの取り決めがありますので、どこでも行うことは出来ませんが、散骨は埋葬行為ではありませんので、墓地埋葬法が適用されないのです。

しかし墓地埋葬法が適用されないから、どこでも散骨して良いという訳ではありません。例えば公共の公園の中で散骨することは違法行為であり、処罰の対象になります。

自分で所有する山での散骨の仕方

遺骨をそのままの姿で撒くことはいけませんので、散骨するには遺骨を粉状に粉骨することと、骨壺の中の不純物を取り除くことは最低限の必要条件です。

遺骨の粉骨は手作業が一番自然にも環境にも優しい方法です…立会いで手作業の粉骨エンター

自分の土地だから何をしても自由だということで、穴を掘って遺骨を埋めることは違法です、粉骨した遺骨を埋めても違法です、散骨は地上に散布することのみ認められます。

散骨する時には必ず故人様にこれから散骨しますよと語りかけて下さい、これは立派な儀式であり、これをしないで黙って黙々と行えば迷います。

散骨した後は土を掛けることはいけません、厳密に言いますと葉っぱを掛けることもいけないのですが、葉っぱぐらいはいくらでも自然に落ちてきますし、私が長年見て分かったことは、葉っぱが上にある方が遺骨(遺灰)の分解が早いのです。

遺骨(遺灰)が分解して土に還るには昆虫や微生物の影響が多大にあります。

散骨した場所は白い粉を撒いたことでよく目立ちますので、上から葉っぱを掛けた方が自然な感じとなって違和感を感じずに済みます。

山林を見直そう

自分の所有する山林

山林は私達の生活のすぐ傍にあり、古の時代より動植物の命を生み出しては分解する生命の故郷であり、私達人間の生活に必要な食糧や物資などを提供してくれる存在でもあり、私達の生活に必要不可欠な存在でした。

我が国の基幹産業であった農業や林業が後継者不足などで衰退していく中で特に林業は安価で大量に輸入される外国産の木材との競争に負けてしまい、出荷しても赤字の状態となって管理されることもなく放置されているのが実情です。

山林は木の実やキノコ、山菜などの食料を生み出す場であり、薪などの燃料を生み出す場でもあり、木材などの資源を生み出す場でもあり、不要になったものを自然に還し、生き物を育て、二酸化炭素を吸収して酸素を作り出し、空気を浄化するなどの素晴らしい機能を備えていて、生活に必要なほとんどの物が自給自足で調達できていました。

都会ではお金さえ所有していれば必要なものは調達できて何不自由なく暮らせますので、山林の役割が全く必要ないのです。

しかし山林というものは、たくさんの恵みを生み出すと共に、亡き人の肉体さえも包み込んでしまう、大きくて優しい存在なのです。

土に感謝しよう

亡骸が土に還ればいつのまにか元の土と同じ土になっています。そういった土を手で直接触ってみても汚いという感じは全くしません。

都会では泥遊びをしている子供に「汚いからやめなさい」と叱る親が多いですが、土は汚いものまで綺麗にするからこそ元々綺麗な存在なのです。

そういう気持ちが湧けば土にも、そして山にも親の姿が重なって、自然と感謝の気持ちが芽生えてくるものです。お父さん、お母さん、ありがとう…

粉骨や散骨のお手伝いしますので呼んで下さい

こだわりの出張粉骨

私清野徹昭はNPO法人やすらか庵の理事長と高野山真言宗やすらか庵の代表僧侶をしています。ご自分の土地で散骨を希望している方のお手伝いしますので、是非ともお呼びくださいませ。