散骨は最近になって急速に普及してきましたが、主に都会暮らしの若い世代の方には支持されていますが、古いしきたりを今でも守っているような地方では、まだあまり受け入れられていないというのが実情です。
散骨に反対する人がいたら
散骨という葬送の方法については古くからありましたが、近年になって人口の減少や少子高齢化の傾向が顕著になる中で、従来のお墓に代わる方法としてクローズアップされてきました。
散骨については、お墓のような礼拝、お参りする場所が無くなってしまうことや、遺骨が無くなってしまうことへの空虚感、或いは先祖から受け継がれてきた葬送の方法を変える事への抵抗感があり、特に年配の方からの反対を受けやすいものです。
散骨したら成仏しないとか、遺骨を捨ててくるなんて…といった感情的な問題もあります。
散骨は生きている時に話し合うこと
これはとても多い事例なのですが、故人が亡くなった後の会食の席で、そういえば故人は「〇〇してほしい」と言っていた…という話が出て、そんなことは聞いていない、「いや△△してほしい」と言っていた、などと話がまとまらないことがあるのです。
実際によくある話としては
- 散骨して欲しいと言っていた
- 散骨のドラマを見た時にとても共感していた
- 友人の散骨に呼ばれた後で自分もそうして欲しいと言っていた
- 故郷のお墓に入りたくないと言っていた
- 散骨してくれる業者を探していた
- 散骨業者に生前予約したと言っていた
親族間、場合によっては家族間でももめるのは、例えば「散骨して欲しいと言っていた」という事を聞いている人と聞いていない人がいることなのです。
聞いた人にしても、冗談半分で言ったのかな、とも思いますし、特に自分一人しか聞いていないような場合には、他の方の意見を聞いた時に、本気で言ったのではなかったんだ、などと、思い直したりするものです。
もし、あなたが自分の亡き後に散骨して欲しいと真剣に思うのなら、少なくとも家族が全員揃った時に言うべきであり、可能ならば遺言書にも書いておく必要があります。
自筆の遺言書に書いて家族の者に託しておけば、ほぼ間違いなくその通りになると思います。
大切なことは、自分が生きている時にはっきりと意思表示することです。この意思表示がなければ、万一の時になって残された者が迷ってしまうのです。
しかし、自分の死後のことを話すなんて、とても話しにくいことですよね。わざわざこの話のために家族を皆呼んで、なんてことしたら、頭がおかしくなったんじゃないの?なんて疑われそうです。
しかし、こういう話は本来は、普段の日常の会話として語り合うもので、改まってする話ではありません。
最初は冗談半分で良いですから、必ず時々はこういう話をするようにしましょう。そうすれば「あの人はよくそういう話をしていたからね」と分かってくれるのです。
もしどうしてもこうして欲しいという希望があるのなら、必ず生きている内に家族に言っておくべきです。
散骨に反対する理由
散骨に反対する人にもいろいろな理由があります、話をすれば分かってもらえることがありますので、まずは相手の気持ちを尊重することです。
宗教上の考え
仏教でも散骨に対しては、教理の違いで様々な見解があります。
釈迦は遺骨に対してはこだわらないことを説きましたので、散骨はありなのですが、日本の仏教には様々な宗旨宗派があり、浄土観と言いますか、あの世観の違いにより、散骨については様々な見解があります。
しかし散骨が宗教的に論じられることは少なく、どちらかと言えば現実的には各寺院の住職による主観によるところが大きく、もちろん肯定的に捉えてくださる住職もいれば、反対されることもあり、今までにご相談のあった方から聞いた話として
- 散骨したらあなたは地獄に堕ちると言われた
- 今までお寺で続けた供養を止めると先祖が地獄に堕ちると言われた
- 散骨したらバチが当たる
- 当寺院では散骨は認めない
- 遺骨を捨てるなんて、ご先祖様に失礼だ
- 法律違反だ
などのとても信じられないようなことを言ってくることがあるのです。
寺院の場合には、そこにお墓がある、あるいは遺骨を預けていると、言う事を聞かなければ出してくれないという、ある意味人質に取られたようなものですが、もしこのようなことでお困りでしたらお気軽にご相談ください
財産を相続したいから
これは意外と多い、とても嫌な問題でありますが、大事なことなので書いておきます。
遺骨というものは、故人の財産を相続する場合にとても重要で、故人が亡くなってから喪主としての責務を果たし、故人の遺骨を祭祀する祭祀権を持てば、誰もが認める故人の法定相続人としての立場を築けるのです。
従って、多額の財産を残した場合には、散骨してしまうと祭祀権が宙に浮くので、例え本人が散骨して欲しいと希望していても、無理にでもお墓に入れられてしまうのです。
どこにでもある話ですが、お金の問題はとても醜く、筋があっての散骨反対ではありませんが、誰しも亡き人が残した財産はタダでもらえるのなら欲しいというのが世の常で、どうしても散骨して欲しいと願うのなら、きっちりと財産の配分を済ませておいてから生前予約することです。
せめて人並みに
葬儀社が葬儀の標準グレード以上のコースをすすめる場合には、
- 「皆さん普通はこれ位のことはなさっていますよ…」
- 「あなたのお宅では今までこれだけのことをされてきた訳ですから…」
- 「故人様は大変に立派な方だったので、せめてこれ位のことはしておかないと…」
- 「人並みのことだけはしておいた方が良いですよ…」
- 「大勢の方が来られる訳ですから、せめてこれ位は…」
- 「一回しか無いことですから、後悔しないようにせめて…」
物は言いようで、故人の業績を称えつつ、世間体ということを強調しておけば、大抵は葬儀社の言いなりになるものです。
お墓を販売する石材店でも然り、
- 「立派な業績を残された故人様にふさわしいものに…」
- 「いつまでも残る素晴らしいものを…」
- 「一生に一度の買い物ですから…」
- 「周りの皆さん良いお墓を購入されて…」
- 「どうしても周りと比べられますからね…」
- 「ご近所の〇〇さんは、がんばってこれを購入されました…」
日本人は、我が道を行くというよりは、周りの状況をとても気にする民族で、これまでの時代は、せめて人並みに、という向上心が我が国の経済を大いに発展させてきた訳です。
ところが今や人口がどんどん減って経済が衰退している状況では、お葬式をするにも人は来ないし、お墓を買ったら無縁になってしまうし、というように、世間体を気にしている場合ではないのです。
散骨でも然り、「せめて人並みにお墓に入れてあげれば…」というアドバイスには、後々のことを良く考えて対応しましょう。
せっかくお墓を買っても、無縁墓になってしまって、綺麗なお墓も壊さないといけないし、墓じまいするのにまた費用が必要となれば、単なるお金の無駄という問題ではなくて、資源やエネルギーの無駄遣い、そしてもお墓にお遺骨がはいっていたとしたら、大変に申し訳ないことだということを認識しないといけません。
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