散骨の仕事を始めてからもう15年になりますが、
葬送の自由化という意味ではとても意義のある15年でした。
葬儀社主体ではなく、家族の者が主体的に組み立てる葬送が可能になったからです。
決められたことに出席するというこれまでの葬儀の感覚ではなくて、
皆が参加して故人を身近に感じるという葬送です。
最近は随分と散骨も普及してきましたが、
散骨業界自体が誰でも参加できる業界なので、
自由な競争が進んで良い傾向なのですが、
葬送の儀ということを無視して遺骨の廃棄処分の傾向が強く、
散骨が最も葬送の目的を破壊しているようです。
お葬式が既に形式化しており、葬儀社と寺院が揃って本来の目的を無くしていく中で、
現代に生きる人達が、亡き人を送るということの心の温かさを
失いかけていることの証だと思います。
亡き人を大切にすることを忘れた民族は滅びていく運命にあります。
これではいけないと思います。
NPOの立場で散骨について訴えかけていますが、
やはり高野山真言宗やすらか庵の僧侶として宗教の立場で訴えるしかないかなとも思っております。
1つの形として喉仏供養という提案をしていますが、
亡き人は大切にしないといけませんよね。