散骨

今の時代、散骨がとても気軽に行えるようになりました。

私は、これまで一生懸命に普及に努力してきたつもりなので、

皆さんあまり抵抗が無くなって、気軽に行えることは良いことなのですが、

私が15年ほど前に始めたばかりの頃は、大きな船に10~15人ほど乗って、

皆でそれぞれの思いを込めて、ある人は大きな声で故人の名を呼び、

ある人は目に涙を浮かべて手を振り続け…

とても感動的な散骨ばかりでした。

最近は散骨に参加される方の人数も減り、船に乗るにしても2~3人程度です。

葬儀が簡略化されてきたのと同じ道を歩んでいます。

葬儀はどちらかと言うと葬儀社任せの所があり、

ただ流れにみを任せるだけということがほとんどですが、

散骨は自分達が主体になって出来る分、

本来は故人とのお別れがゆっくりと思う存分できることがメリットです。

しかし、世の中の流れが変わってきたのでしょうか、

やはり簡略化がどんどん進み、お遺骨も郵パックで送るというやり方が浸透し、

皆さんあまり抵抗なく遺骨を送られているようです。

散骨業者も許認可制ではないので増え続け、

安い料金ばかり強調する遺骨の処分業者が目につきます。

しかし、処分でも構わないという人が利用する分には、問題無いのです。

葬送の儀というものは、亡き人に対する感謝の気持ちと、

あの世に迷わずに送り届けるという大切な役目があるはずです。

子孫の事を思い、苦労して、苦労して、自分の身を犠牲にしてでも

私達のことを思ってくれている方々を粗末にしてしまっては、

私達の心も荒んでしまいます。

散骨は遺骨を捨てるものではない、そして処分するものでもない、

捨てたり、処分したりすると、無縁仏を増やしているのと同じです。

自分は楽になったかもしれないけれど、亡き人は浮かばれないのです。

これを訴えていかないと、亡くなった方が浮かばれません。