散骨へのこだわり

私達の住むこの世界は、目に見えるものばかりで構成されているように見えますが、実は目に見えないものの方がはるかに多く、光にしても音にしても個人差はありますが、私達の感じない領域が多くありますので、私達の五感というものは、この世界の一部しか感じていないということになります。

また神仏や魂、霊の世界もすぐ身近にあるのですが、感じなくても生きていくには差し支えありません。逆に感じすぎて差し障りがある人がいるのです。

亡き人は感じても感じなくても、私達が普通に生きていくにはどちらでも良いのですが、例えば私達がお墓参りに行く時は、亡き人に対して、自分のことを守ってもらえるようにと祈るのではないでしょうか。

親が子の幸せを願い、祖父母が孫の幸せを願う、人としての願いや思いは亡き人も同じです。亡き人はすぐ傍に居て私達の幸せを願っているのです。

散骨や粉骨にしてもそうですが、ビジネス目線になりますと、こういった単純なことが見えなくなってしまいます。見えないから分からないだろう、という気持ちがあってはいけません。見えない方にこそ丁寧におもてなしをするのです。